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    <title>ココナッツカップ</title>
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    <updated>2012-01-05T03:52:33Z</updated>
    <subtitle>マーシャル諸島にいってココナッツカップが見たいんだ。</subtitle>

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    <title>飽食の時代</title>
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        <![CDATA[<p>『飯田深雪の食卓の昭和史』</p>

<p><br />
明治36年生まれ、明治、大正、昭和を生き、フランス政府より芸術、学術、文化に貢献したとして芸術文化勲章も受章された著者が食卓を通して語る昭和史です。</p>

<p><br />
飽食の時代といわれ、食文化論が華やかな時代に、私たち日本人の食生活がどのように移り変わってきたのかを理解するための、また昭和という時代がどういう時代だったのかを理解するための好著です。</p>

<p><br />
よく知られているように著者は我が国におけるフランス料理やアートフラワー研究の第一人者であるが、80歳に達した今、淡々として激動の昭和60年間の追想を語り、次代への期待を述べています。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>中学校</title>
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    <summary> 1947年(昭和22)学校教育法制定により、新学制下の中学校が誕生した。 「中...</summary>
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        <![CDATA[<p><br />
1947年(昭和22)学校教育法制定により、新学制下の中学校が誕生した。</p>

<p><br />
「中学校は小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、中等普通教育を施すことを目的とする」(学校教育法三五条)公立中学校は</p>

<p><br />
（１）義務教育学校としてすべての者が就学</p>

<p>（２）男女共学</p>

<p>（３）授業料不要</p>

<p>（４）三年制前期中等教育</p>

<p>（５）一校一学区制による無試験入学制</p>

<p>（６）初等普通教育(小学校)</p>

<p><br />
と高等普通教育(高等学校)の中間に位置し中等普通教育を施すが、「社会に必要な職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養う」(三六条)共通教育学校とされる。</p>

<p><br />
当初は、他施設の間借り状態が続き、共通教育の撤廃の要望も強かったが国民努力により定着し、高等学校大衆化の制度的基盤になりました。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>小学校</title>
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    <summary> 「小学校ハ教育ノ初級ニシテ人民一般必ス学ハスソハアルヘカラサルモノトス」と定め...</summary>
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        <![CDATA[<p><br />
「小学校ハ教育ノ初級ニシテ人民一般必ス学ハスソハアルヘカラサルモノトス」と定められ、1872年(明治5)の学制において発足した。</p>

<p><br />
1886年(明治19)には小学校令が制定され、尋常小学校四年、高等小学校4年とし、尋常小学校が義務教育とされたが、別に修業年限3年以内の小学校簡易科が認められ、90年(明治23)には小学校令が改正され、市町村に小学校の設置が義務づけられました。</p>

<p><br />
この改正小学校令において、「小学校ハ児童ノ基礎並其生活二必須ナル普通ノ知識技術ヲ授クルヲ以テ本旨トス」との目的が明確にされました。</p>

<p><br />
1900年(明治33)には尋常小学校六年、高等小学校二年とし、義務教育が六年に延長され、小学校への就学率も上昇をたどった。</p>

<p><br />
そして、1941年(昭和16)の国民学校令により、名称が小学校から国民学校に変わり、太平洋戦争への総力戦体制に対応して皇国民錬成の教育を目指したが、47年(昭和22)の学校教育法の公布により、ふたたび小学校の呼称に戻った。</p>]]>
        
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    <title>日本の最初の幼稚園</title>
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    <summary>日本の最初の幼稚園は、1876年(明治九)に設けられた東京女子師範学校(現在のお...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bgtc-soe.info/">
        <![CDATA[<p>日本の最初の幼稚園は、1876年(明治九)に設けられた東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)附属幼稚園で、先生にドイツ人の松野クララを迎え、園児75人でスタートした。</p>

<p><br />
1878年(明治11)には鹿児島と大阪に一園ずつ設けられ、翌年には私立幼稚園第一号が、お茶の水幼稚園の保母だった佐藤浜によって芝公園に開設されました。</p>

<p><br />
1926年(大正15)に公布された「幼稚園令」で幼稚園の開設は全国に広まり増加した。</p>

<p><br />
現在、幼稚園は「学校教育法」によって学校の一種と見なされています。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>幼稚園</title>
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    <summary> 幼稚園はドイツの教育家フレーベル(1782～1852)が1839年にブラソケン...</summary>
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        <![CDATA[<p><br />
幼稚園はドイツの教育家フレーベル(1782～1852)が1839年にブラソケンブルクに開いたのにはじまる。</p>

<p><br />
花園によい花の芽ばえが育つ・・・との意をこめた「子どもの園」(キンダーガルデン)の呼び名は、ドイッ語のまま世界各国でも通用しています。</p>

<p><br />
しかし、フレーベルの幼児教育は形式主義に流れてしまった点に問題があった。</p>

<p><br />
彼の死後、幼稚園はヨーロッパ各国からアメリカに広められ、アメリカで新しい児童心理学と教育学の影響を受けて、現代の幼稚園教育に発展した。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>中国では</title>
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    <summary>中国では周の時代(紀元前1122～24七)に、大学や国学、小学校にあたる摩や序が...</summary>
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        <![CDATA[<p>中国では周の時代(紀元前1122～24七)に、大学や国学、小学校にあたる摩や序が既に設けられていました。</p>

<p><br />
日本でも、中国の学校制度を採用し、天智天皇(662～671)の時代に大学を創設、また、諸国には国学を創設した。</p>

<p><br />
平安時代になると、官学のほかに貴族が一族の子弟を教育する学校が設けられました。</p>

<p><br />
和気氏の弘文院、藤原氏の勧学院などです。</p>

<p><br />
鎌倉時代には、北条氏が金沢文庫、上杉氏が足利学校を設立しています。</p>

<p><br />
江戸時代になると、幕府の学問奨励策で学校教育が盛んになり、1630年(寛永7)に幕府設立の昌平坂学問所をはじめ、各藩にも藩校が設けられました。</p>

<p><br />
また庶民の間にも学校教育の風潮が高まり、町や村に寺子屋ができました。</p>

<p><br />
学制を決めて小学校が創設されたのは1872年(明治5)のことで続いて「教育令」が79年(明治12)、「学校令」が86年(明治19)、「小学校改正令」が90年(明治23)という順に整えられていきました。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>学校のはじまり</title>
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        <![CDATA[<p>学校のはじまりは、原始時代からといってもよいでしょう。</p>

<p><br />
原始社会集団では、食物を獲得したり、住居をつくったりする知識や、他の部族と戦う戦闘技術などを身につけるために、一定の年齢に達した少年たちを定められた場所に集めて訓練をした。</p>

<p><br />
今日でも未開民族の間で見られる成年式の行事とともに行われる、部族のおきての伝授、戦闘の訓練などがそれであり、古代ギリシャのスパルタなどにも、このような学校の原型が見られる。</p>

<p><br />
文字の利用が普及し、商業が発達すると、社会集団が結合して国家的組織をもつようになり、国家を維持するための官吏を養成する学校制度が発達した。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>良い本を読もう　５</title>
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    <summary>不敬文学論序説は5ぺージぐらい読んでさっぱりわからなければ、村上春樹からやり直し...</summary>
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        <![CDATA[<p>不敬文学論序説は5ぺージぐらい読んでさっぱりわからなければ、村上春樹からやり直して欲しい。</p>

<p><br />
まずは本を好きになってください、と。</p>

<p><br />
私も村上春樹が好きで、私なりの文学感はあったんですよ。</p>

<p><br />
ところが、この本で「あわあわあわ」となる。</p>

<p><br />
私が読んできた読み方はすべて間違いだったと、震えたのを覚えています。</p>

<p><br />
文学と思っていたものが本当は違っていることを、感じる。</p>

<p><br />
この本は2ヶ月に一回売れるかどうかだけれども、それでもやっぱり、置いていなければならないと思う。</p>

<p><br />
私の書店人としての最後の砦としてしがみついている本だと思います。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>良い本を読もう　４</title>
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        <![CDATA[<p>差別を追い求めるなら、究極にたどり着くのは天皇小説であるはずなのに、それが存在しないことが、また、いまの日本を現している、と。</p>

<p><br />
棚一段、小林よしのりを導入として置いて、福田和也、柄谷行人、そしてこの本という並びは小さな、けれど大きな意味を持つであろう仕掛けです。</p>

<p><br />
この本も簡単には読めません。</p>

<p><br />
引用がいっぱいあって、しかも引用されている文章は難しい。</p>

<p><br />
そもそもここで取り上げられている文学は難しいんです。</p>

<p><br />
だから最初だけでもいいと思う。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>良い本を読もう　３</title>
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    <summary>小説の読まれ方に私は疑問を持っているんです。 いまの世間一般での読まれ方は間違っ...</summary>
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        <![CDATA[<p>小説の読まれ方に私は疑問を持っているんです。</p>

<p><br />
いまの世間一般での読まれ方は間違っていると。</p>

<p><br />
こういうことを本を売る側の人間がいうのは、大いに怖いのですが・・・。</p>

<p><br />
例えば村上春樹は、読んでいて確かに気分はいい。</p>

<p><br />
でもそこで止まってはいけないんです。</p>

<p><br />
物語を書くということは、本来、差別にぶち当たるはずなのに、ないものがあるがごとく書くそのテクニックだけがもてはやされる。</p>

<p>そういうのは、本当の文学ではないんじゃないか、と。</p>

<p><br />
逆にいえばそれが、いま、文学として成り立ってしまっていて、ひいては、日本の根幹になってしまっているんじゃないかとさえ思える。<br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>良い本を読もう　２</title>
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        <![CDATA[<p>学生時代、中上健次の『枯木灘』を読み、なにかが決定的に違うという強烈な印象を持ったんです。</p>

<p><br />
その正体を探るうちに、柄谷行人や渡部直己、こういう人たちと必ず出会う。</p>

<p><br />
「文学を本当に掴んでいた最後の作家は中上健次だった。</p>

<p><br />
いまは商業主義でしかないのであって、小説という形態は、彼を最後に終焉を迎えた」と。</p>

<p><br />
柄谷行人らしいですけどね、終わったと言い切るところは。</p>

<p><br />
もうあがくのは止めようと。</p>

<p><br />
しかも読むのが大変難しい。</p>

<p><br />
そこを渡部直己は、3部作で少しわかりやすく、もう一度、文学の再生を図ろうとしてくれているんだと思います。</p>]]>
        
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    <title>良い本を読もう　１</title>
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    <summary>不敬文学論序説。 この本はうちの店らしくない本でもあるのですが、なぜ自分がこの本...</summary>
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        <![CDATA[<p>不敬文学論序説。</p>

<p><br />
この本はうちの店らしくない本でもあるのですが、なぜ自分がこの本をずっと置いておきたいのかを一度つきつめて考えてみたかったのです。</p>

<p><br />
自分の中で消化してしまいたかった。</p>

<p><br />
3部作だと思っているんですよ。</p>

<p><br />
序論として『日本近代文学と〈差別〉』(太田出版)、第2弾で『中上健次論-愛しさについて』(河出書房新社)、結論としてこの『不敬文学論序説』となります。</p>

<p><br />
この本で文学と差別の問題に最終的な結論を著者の渡部直己は出したと。</p>

<p><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>昔のノンフィクション番組　５</title>
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    <summary>「君は明日を掴めるか―貴くんの4745日」 負けず嫌いの貴くんはこうして成長して...</summary>
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        <![CDATA[<p>「君は明日を掴めるか―貴くんの4745日」</p>

<p><br />
負けず嫌いの貴くんはこうして成長してゆく。</p>

<p><br />
荒井さん一家の教育方針は非常に温かく、また厳しい。</p>

<p><br />
腕が短いのは生まれつきだから仕方がない。</p>

<p><br />
短い腕でやれるところまでやり、その限界まできたときは足を使おう。</p>

<p><br />
持っているものを総動員して、普通の人と同様に社会に生きるのだといいます。</p>

<p><br />
池松氏は「人の不幸を撮って仕事にしていくのはうしろめたい気持ちだ」といいながら、貴くんの結婚までを撮り続けるといいます。</p>

<p><br />
当時「エリザベス・サンダースホーム」を巣立った混血児たちと故沢田美喜さんとの再会を記録した「子供たちは七つの海を超えた」(53年)を演出した星野敏子ディレクターが、当時、青山学院大2年生になった貴くんと話し合いながら、修学旅行や学院生活を撮り続けていました。</p>]]>
        
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    <title>昔のノンフィクション番組　４</title>
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    <summary>「君は明日を掴めるか―貴くんの4745日」は、BBC(英国放送協会)で「リーチ・...</summary>
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        <![CDATA[<p>「君は明日を掴めるか―貴くんの4745日」は、BBC(英国放送協会)で「リーチ・フォー・トゥモロウ」と英訳した番組名で放送されました。</p>

<p><br />
国際的な評価を得て、エミー賞につながったのでした。</p>

<p><br />
小学校に入ったとき、「三つ指人間を初めて見た」と友達にバルタン星人だとからかわれる。</p>

<p><br />
中学校に入る前には詰めえりの制服を着る練習をする。</p>

<p><br />
アゴでえりの一方を押さえ、左足指でもう一方のえりをつかみ、ホックをかけようとするがかからない。</p>

<p><br />
3時間半後にやっと成功する。</p>

<p><br />
後半はカラーだが、前半の画面は白黒、そこに13年間の記録がまざまざと現れていました。</p>

<p><br />
詰めえりのホックを足の指で留めようとして何十回も失敗、疲れ果てて倒れてしまっても、訓練は続き、カメラは回し続けられました。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>昔のノンフィクション番組　３</title>
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    <summary>昔のノンフィクション番組である「君は明日を掴めるか―貴くんの4745日」。 「い...</summary>
    </mt:EntryTags></mt:EntryIfTagged>
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bgtc-soe.info/">
        <![CDATA[<p>昔のノンフィクション番組である「君は明日を掴めるか―貴くんの4745日」。</p>

<p><br />
「いずれ放送できる日がくれば、皆に見せたい」と思って撮ったフィルムは、荒井さんの理解があって、「ボクは小学一年生」(44年5月18日放映、60分)となり"20世紀アワー"で、「ボクのお父さん」(47年5月に前後編)となって"日本の家族"で、さらに「障害児予備軍を救おう」(49年3月)、「明日をつかめ/貴くん」(50年6月29日)として"ドキュメント74、75"で放送されました。</p>

<p><br />
池松氏は「そちこちの番組枠の軒先を借りて、放送させてもらってきたわけです」と、謙虚にそのプロセスを知らせました。</p>

<p><br />
そして、日曜深夜放送の"ドキュメント75"が話題になり、ゴールデンアワーの"木曜スペシャル"で放送され、やっと日の目を見るにいたった。</p>]]>
        
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